(参考文献 「紅茶の世界」荒木安正著 柴田書店)
前回までのお話はいいでしょうか?
もともと中国にあった「伝統的」で「原始的」ともいっていい製茶法を英国が学んでスリランカ等で「オーソドックス製法」などとよく本に書いてあるような・・・まぁ〜、要するに「機械化」したということですね。
それまでは、中国伝来の「きれいな茶葉」などという、いわゆる「職人的」なものも「おいしさ」の重要な要素だったわけですね。
しかし、英国はじめヨーロッパ各国が世界中を席巻していた時代の話しですから各々の国民も豊かになり、「庶民」にも「紅茶」がひろまっていくんですね。
そして、景気がいいわけですからみんな「忙しい!」。
そうすると・・・見た目の美しさ!とばかりも言っていられなくなり・・・
生活の中の「スピード」「効率」という「実用性」が求められ、当然、製茶法の中にもそういったものが求められてきます。
しかし、100年も前の話で・・・私たちからすると、「スピード」なんて言われてもどれだけの「効率性」があったものなのかピンときませんね。(笑)
まっ、そういった中で、機械化がより進み、製品としても「ティーバッグ」が実用的だということで急速に普及します。
簡単過ぎる(笑)要約ですが、ヨーロッパという「文明圏」のお茶という「文化」がこうやって出来上がっていくんですね。
日本にしても中国にしても、このときにすでにお茶という「文化」は出来上がっていたわけですよね。日本だったら「茶道」という立派なものがあったわけですね。
残ってる文献によると、「何故?あんな小さい部屋(茶室)で、窓もないようなところでしかも、入り口(にじり口)がどうしてあんなに小さいのか?それに、ヒビが入って割れたようなカップ(茶碗)に莫大なお金を投じてる。日本人はなんなんだぁ〜?」と思ったらしいですよ。
Tsua 中国語で「ツァイ」が Ta 「ター」 Tay 「テー」 Tey 「テイ」で Tea
また一方では、Chai 「チャイ」 Cha 「チャ」・・・「茶」となるんですね。
この「言語」に関してはいろんな説があるようです。これは、あくまで私個人が考えてることであるとご理解くださいませ。
ということで、私個人としてはですね、「お茶」という事に関して日本や中国という国がなんで、ヨーロッパの国々の「お茶文化」をしたり顔で「真似」せにゃ〜いかんのかわからんわけですよね。
「水」も違う、「生活習慣」も違う、普段「食べてるもの」も違う。
そこで、「同じ味のお茶」なんていうことを考えること自体「不自然」だと思います。
ですから、私は・・・再三、お断りしてますが(笑)・・・
「お茶」に関して考えるときに、日本と中国を主として考え、しかるにどうしても「お茶」のいれ方等も、全然「英国式」など眼中にありません。考えたこともありません。
たまたま、同じことがあったら、あくまでも「こっちが先!」だと。(笑)
「あっちが真似した!」と考えてます。(笑)
これが、私こと夢やが一般的にいわれる「おいしい紅茶のいれ方」というのを全然そう思ってない理由です。
日本人には、日本人に合った入れ方があり、日本人の口にあった味というものがありますし、あって当然です。
とはいうものの・・・。
「紅茶」というものを考えるときに、英国ヨーロッパを抜きにして考えるのも無茶な話ではありますよね。(笑)
次回は、そのへんを・・・。
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英国の紅茶
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